2016年5月22日日曜日

5月12日/19日の活動報告

5月12日と19日は、加地大介先生の『なぜ私たちは過去へ行けないのか : ほんとうの哲学入門』の読書会を行いました。

過去と未来の根本的な相違は何か。加地先生は、次のように述べます。
未来のできごとは、まだ始まっておらず、起きないことを可能性として含んでいる以上、それはあくまでも現時点ではまだ単なる可能性にとどまっている「可能的なできごと」だといえます。これに対して過去のできごとは、終わってしまっている以上、それが起きないことは現時点ではもはやあり得ないという意味で、現時点では「必然的なできごと」だといえるでしょう。そして現在のできごとを、可能的なできごとから必然的なできごとへと変化する最中にあるできごととして考えるならば、それはそうした変化という一種の動き、あるいは変化させるという働きを伴ったできごとだという点で「アクテュアル(actual)なできごと」だといえるでしょう。 (『なぜ私たちは過去へ行けないのか』pp.81-82)
そして、過去のできごとは実現したできごとであり実在する(be real)が、実現していない未来のできごとは可能的に存在するだけで実在するとはいえない、と主張します。しかしもしこのような違いを、過去のできごとについての主張と、未来のできごとについての主張の間に認めるとしても、その相違は排中律という論理法則の適用可能性にまで影響するほどのものでしょうか。この疑問に答えるために、「論理的真理」について考えてみましょう。
〈「明日雨が降るか降らないかのどちらかである」は論理的真理だが、「昨日雨が降ったか降らなかったかのどちらかである」は単なる論理的真理のみならず、さらにそれ以上のことも主張している〉。(前掲p.84)
この「論理的真理」の意味を考えるために、まず「二値原理」の意味を以下のように弱めます。
すべての命題は、もし真理値を持つのならば、真か偽かのいずれかである。(前掲p.85)
これは、例えば「明日雨が降る」という命題は、真偽いずれの真理値も持たない場合があるということになります。一方で「昨日雨が降った」という命題は、必ず真理値を持っている主張ということになります。そのうえで、「論理的真理」の意味を以下のように弱めます。
論理的真理とは、真理値を持つ場合には必ず真であるような命題である。(前掲p.86) 
さて、このように定義された「論理的真理」によると、もし「昨日雨が降った」という過去形「た」を用いた命題が成立するならば、「昨日雨が降る」という過去形「た」を用いない命題も同時に成立するということができます。なぜならこれは、前者は必然的に真理値を持つ過去形の真の命題であるので、後者は真理値を持つ場合には真である(論理的真理)、ということに過ぎないからです。
このように考えると、「昨日」や「明日」のような時間的前後関係を表す表現と、「た」のような時制表現が連動しないという問題が出てきます。しかし、時間的順序関係の要素を取り除いた時制表現で表されるこのものこそが、過去と未来の本来の意味なのかもしれません。

続いて、先ほど述べたような「過去は実在するが、未来は実在しない」という考えに基づいて、過去へのタイムトラベルは不可能であるということの証明をしてみましょう。
任意の二つの時点t、sについて、tよりも後にsを経過する個体が少なくとも一つ存在するとき、時点tでの世界には時点sは実在しないが、時点sでの世界には時点tは実在する。……前提A1(前掲pp.92-93) 
この場合の「時点tは実在する」とは、「時点tで起きているできごとについて述べる命題はすべて真理値をもっている」と考えます。するとたとえば、1960年に発生し、それ以降持続していた実体が、2000年の時点で1980年にタイムトラベルすることは不可能ということになります。なぜなら前提A1により、1980年の時点で2000年が実在すると同時に実在しない、という矛盾が起きてしまうからです。この前提によると、幼い頃の自分を殺すとか、幼い頃の自分に何かを渡すことなどにより生じる謎を回避することができます。
また、不可能とされるタイムトラベルを拡張するため、実体間の依存関係(実体連鎖と呼ぶ)を利用すると、前提A1を少し変形して、以下のようになります。
任意の二つの時点t、sについて、tよりも後にsを経過する実体連鎖が少なくとも一つ存在するとき、時点tでの世界には時点sは実在しないが、時点sでの世界には時点tは実在する。……前提A2(前掲p.96) 
この前提A2を認めると、自分の親や祖先を殺そうとすることによる謎や、自分の祖先に何かを渡すことにより生じる時間の輪の謎も回避されることになります。したがって、前提A2さえ認めれば、過去へのタイムトラベルは不可能なことが証明できてしまいます。
しかし、そもそも「過去は実在するが、未来は実在しない」という発想そのものが妥当であるか、また実在性について過去と未来の非対称性を実体(連鎖)に即して捉えることが妥当であるか、疑問が出てきます。加地先生は、「過去は実在するが、未来は実在しない」ということを正当化したいと考え、「過去のできごとと未来のできごとの存在性格が根本的に異なることを議論の出発点とすべき」(前掲p.98)と述べます。

前提A2に依存しないような、私たちは過去へ行けないことの別の証明を考えると、以下のような前提が提起されました。
任意の実体(連鎖)xと任意の時点tについて、実体(連鎖)xが時点tを二度以上経過することはない。……前提B (前掲p.105)
これはつまり、「いかなる実体(連鎖)といえども、それがその時々に経過している時点は、常にその実体にとって未経験の新たな時点である、ということです」(前掲p.105)。そうすると私たちの人生は、取り返しのつかない一回限りの時点を経験することの連続であるとも言えます。これは、私たちの「時の流れ」という直観の根源にあるものではないでしょうか。

会員からは、そもそも論理的な矛盾を含むような出来事が起きることこそが過去へのタイムトラベルなのであるから、その矛盾を上のようにいくら指摘したところで、過去へ行けないことの証明にはならないのではないのか、という意見がありました。加地先生も同じような反論を予想していました(前掲p.106)。
つまり、なぜ私たちは過去へ行けないのか、という問いは、そもそも過去へ行けないとはどういうことであるか、ということを確認することによってしか答えられない問いだったのです。ひとつの対象として持続的に存在する個体としての「実体」と、実体が二度経過することが不可能な何ものかとしての「時点」という、少なくとも二種類のものの存在を承認するということ、そのこと自体が、私たちが過去へは行けないということそのものを実は意味していたのです。(前掲p.106)

■次回の活動
  • 日時:2016年526日(1800
  • 場所:教養学部406学生研修室
  • 内容:読書会
  • テキスト:加地大介 著『なぜ私たちは過去へ行けないのか : ほんとうの哲学入門』(第二章p.111~)
テキストは現在絶版となっており、入手が困難だと思いますが、研修室に若干数を所蔵してあります。テキストをお持ちでない方も、お気軽に読書会にご参加下さい。お待ちしております。
(文:沖田)

2016年5月3日火曜日

4月28日の活動報告

先日は、新たな会員を交えて、加地大介先生の『なぜ私たちは過去へ行けないのか : ほんとうの哲学入門』の読書会を行いました。

まず、ジェームズ・キャメロン監督による1991年の映画『ターミネーター2』のストーリーを確認しました。すると、いくつかの謎が出てきました。(第一章 3)
  1. 過去は変えられるのか?
  2. 未来は変えられるのか?
  3. 過去(のできごと)を引き起こすことはできるか?
  4. 「時間の輪」の謎
  5. 未来は決定しているのか?
  6. そもそも過去へ行けるのか?
そして、二人の哲学者の思考実験に触れました。一つは、マイケル・ダメットの踊る酋長(Bringing About the Past, 1964)です。彼はまず、大戦中にロンドンで流行したという宿命論を紹介します。
〈あなたは爆弾で殺されるか殺されないかのいずれかだ。もしも殺されるのならば、あなたが予防策をとろうととるまいと、あなたは殺されるのだ。したがってこの場合、どんな予防策も無効だということになるだろう。もしも殺されないならば、あなたが予防策をとろうととるまいと、あなたは殺されないのだ。したがってこの場合、どんな予防策も余計だということになるだろう。つまりいずれの場合にせよ、予防策をとることには何の意味もない〉。(『なぜ私たちは過去へ行けないのか』p.41)
この議論の中に出てくる「予防策」について、もし爆弾で殺されなかったならば、予防策が有効だったとも言えるので、「どんな予防策も余計だ」とは言えないのではないか、という反論があるかもしれません。
このロンドンの宿命論と似たようなものとして、ダメットは踊る酋長(しゅうちょう)の思考実験を紹介します。
 私たちが次のような慣習を持つ部族に出くわしたと仮定しよう。その部族の若者は、成人式の一環として、二年ごとにライオン狩りに送り出される。若者たちは男たることの証を立てなければならないのである。彼らは二日間旅をし、二日間ライオン狩りをする。そして、さらに二日間を帰路の旅に費やす。見張り人が彼らに同行し、帰ると直ちに、若者たちが勇気に振る舞ったかどうかを酋長に報告する。
 さてその部族の人々は、酋長によって催される種々の儀式が天候、収穫などに影響を与える、と信じている。そこで酋長は、若者たちが部族から離れている間、若者たちが勇敢に行動するように、ということを祈る踊りを儀式として行う。酋長は、その一行が留守にしている六日間を通して、この踊りを踊り続ける。(『なぜ私たちは過去へ行けないのか』pp.42-43) 
さて、最後の二日間の酋長の踊りは、若者たちが勇敢だったか否かに関係するでしょうか。つまり、逆向き因果は成立するのでしょうか、という疑問が湧いてきます。私たちは常識として、このような逆向き因果は成立しないように思います。しかしダメットは、逆向き因果は不合理なものではないと認めざるを得ないと結論しました。

二つ目は、リチャード・テイラーによるオズモの物語(Metaphysics, 1963)という思考実験です。ここで詳しくは紹介しませんが、この物語によって彼は、排中律や二値原理といった論理法則が、過去命題だけではなく未来命題にも同様に適用できると主張しました。

ダメットもテイラーも、「実は過去も未来も同様だ」と主張したのです。しかし、タイムトラベルのうち過去のタイムトラベルだけに、時間の輪や逆向き因果といった謎が生じるのです。では、過去と未来の根本的な相違は何でしょうか。次回は、このようなことを考えたいと思います。

■次回の活動
  • 日時:2016年512日(1800
  • 場所:教養学部406学生研修室
  • 内容:読書会
  • テキスト:加地大介 著『なぜ私たちは過去へ行けないのか : ほんとうの哲学入門』
テキストは現在絶版となっており、入手が困難だと思いますが、研修室に若干数を所蔵してあります。テキストをお持ちでない方も、お気軽に読書会にご参加下さい。お待ちしております。
(文:沖田)

2016年5月1日日曜日

第二十二回文学フリマ東京に出店参加します!

告知が大変遅くなりましたが、本日、第二十二回文学フリマ東京に出店参加します。詳細は以下の通りです。
  • 日時:2016年51日(11001700
  • 場所:東京流通センター 第一展示場
  • 配置:-39
  • 内容:会誌頒布
  • 頒布物:『埼大哲学研究会誌 : 臨号』(新刊)など
■参考リンク
第二十二回文学フリマ東京 開催情報(文学フリマ公式サイト内):http://bunfree.net/?tokyo_bun22
アクセス情報|TRC 東京流通センター:http://www.trc-inc.co.jp/access/index.html

当日は、私たちが作成した会誌や冊子を持っていき、頒布・展示する予定です。お待ちしております。
(文:沖田)