2016年5月3日火曜日

4月28日の活動報告

先日は、新たな会員を交えて、加地大介先生の『なぜ私たちは過去へ行けないのか : ほんとうの哲学入門』の読書会を行いました。

まず、ジェームズ・キャメロン監督による1991年の映画『ターミネーター2』のストーリーを確認しました。すると、いくつかの謎が出てきました。(第一章 3)
  1. 過去は変えられるのか?
  2. 未来は変えられるのか?
  3. 過去(のできごと)を引き起こすことはできるか?
  4. 「時間の輪」の謎
  5. 未来は決定しているのか?
  6. そもそも過去へ行けるのか?
そして、二人の哲学者の思考実験に触れました。一つは、マイケル・ダメットの踊る酋長(Bringing About the Past, 1964)です。彼はまず、大戦中にロンドンで流行したという宿命論を紹介します。
〈あなたは爆弾で殺されるか殺されないかのいずれかだ。もしも殺されるのならば、あなたが予防策をとろうととるまいと、あなたは殺されるのだ。したがってこの場合、どんな予防策も無効だということになるだろう。もしも殺されないならば、あなたが予防策をとろうととるまいと、あなたは殺されないのだ。したがってこの場合、どんな予防策も余計だということになるだろう。つまりいずれの場合にせよ、予防策をとることには何の意味もない〉。(『なぜ私たちは過去へ行けないのか』p.41)
この議論の中に出てくる「予防策」について、もし爆弾で殺されなかったならば、予防策が有効だったとも言えるので、「どんな予防策も余計だ」とは言えないのではないか、という反論があるかもしれません。
このロンドンの宿命論と似たようなものとして、ダメットは踊る酋長(しゅうちょう)の思考実験を紹介します。
 私たちが次のような慣習を持つ部族に出くわしたと仮定しよう。その部族の若者は、成人式の一環として、二年ごとにライオン狩りに送り出される。若者たちは男たることの証を立てなければならないのである。彼らは二日間旅をし、二日間ライオン狩りをする。そして、さらに二日間を帰路の旅に費やす。見張り人が彼らに同行し、帰ると直ちに、若者たちが勇気に振る舞ったかどうかを酋長に報告する。
 さてその部族の人々は、酋長によって催される種々の儀式が天候、収穫などに影響を与える、と信じている。そこで酋長は、若者たちが部族から離れている間、若者たちが勇敢に行動するように、ということを祈る踊りを儀式として行う。酋長は、その一行が留守にしている六日間を通して、この踊りを踊り続ける。(『なぜ私たちは過去へ行けないのか』pp.42-43) 
さて、最後の二日間の酋長の踊りは、若者たちが勇敢だったか否かに関係するでしょうか。つまり、逆向き因果は成立するのでしょうか、という疑問が湧いてきます。私たちは常識として、このような逆向き因果は成立しないように思います。しかしダメットは、逆向き因果は不合理なものではないと認めざるを得ないと結論しました。

二つ目は、リチャード・テイラーによるオズモの物語(Metaphysics, 1963)という思考実験です。ここで詳しくは紹介しませんが、この物語によって彼は、排中律や二値原理といった論理法則が、過去命題だけではなく未来命題にも同様に適用できると主張しました。

ダメットもテイラーも、「実は過去も未来も同様だ」と主張したのです。しかし、タイムトラベルのうち過去のタイムトラベルだけに、時間の輪や逆向き因果といった謎が生じるのです。では、過去と未来の根本的な相違は何でしょうか。次回は、このようなことを考えたいと思います。

■次回の活動
  • 日時:2016年512日(1800
  • 場所:教養学部406学生研修室
  • 内容:読書会
  • テキスト:加地大介 著『なぜ私たちは過去へ行けないのか : ほんとうの哲学入門』
テキストは現在絶版となっており、入手が困難だと思いますが、研修室に若干数を所蔵してあります。テキストをお持ちでない方も、お気軽に読書会にご参加下さい。お待ちしております。
(文:沖田)

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