2016年6月26日日曜日

6月16日の活動報告

6月16日は、鈴木生郎さんの論文「死の害の形而上学」(http://ci.nii.ac.jp/naid/110008798959)を読みました。

終焉テーゼ:「人は死ぬと、存在しなくなる。」
死後の害のテーゼ:「人は死後に死の害を被る。」

トマス・ネーゲルは、死は私たちから、もし死ななかったならば享受できたはずの望ましいことを剥奪するから、死は害悪である(剥奪説)と主張しました。しかしもしこの剥奪説が正しいとしても、私たちはいつ死の害を被るのでしょうか。

鈴木さんは、三次元主義+永久主義の枠組みを採用することで、終焉テーゼと死後の害のテーゼの衝突を回避することができるとしました。

■次回の活動
  • 日時:2016年630日(1800
  • 場所:埼玉大学図書館3階グループ学習室教養学部406学生研修室
  • 内容:読書会
  • テキスト:カント 著『純粋理性批判』(第一版序文・第二版序文)
テキストは出来る限り各自で用意してお越し下さい。お待ちしております。
(文:沖田)

2016年6月15日水曜日

5月26日の活動報告

5月26日は、加地大介先生の『なぜ私たちは過去へ行けないのか : ほんとうの哲学入門』の読書会を行いました。今回は第二章「なぜ鏡は左右だけ反転させるのか」を読みました。

鏡は上下を反転させることはなく、つねに左右だけを反転させるという謎。

マーティン・ガードナーは、鏡は左右を逆転しているのではなく、本当は前後を逆転しているのだと主張しました(『自然界における左と右』)。
ネッド・ブロックは、鏡は上下(頭足)方向も左右も反転させないか、上下(頭足)方向も左右も反転させるかのどちらかである、と結論づけました(「なぜ鏡は右/左を反転させるが上/下は反転させないのか」)。

そして、デカルト座標と回転座標の考察を進めるうちに、鏡像反転という現象には
  1. 回転軸を基準とした反転関係にあるものとして、物体とその鏡像を捉える見方
  2. 平面を基準とした面対称の関係にあるものとして、物体とその鏡像を捉える見方
という二つの見方があることがわかりました。
私たちは鏡像を見るとき1の見方をし、頭足方向を特権視して回転軸を設定します。それは重力のせいかもしれません。

■次回の活動
  • 日時:2016年616日(18002000
  • 場所:埼玉大学図書館3階グループ学習室(2)
  • 内容:読書会
  • テキスト:鈴木生郎 著「死の害の形而上学」『科学基礎論研究』, 39(1), pp.13-24, (http://ci.nii.ac.jp/naid/110008798959
テキストは各自印刷して、できれば事前に一度お読みになってからお越し下さい。ただテキストを持っていない、あるいは読んでいない場合でも、お気軽に読書会にご参加下さい。お待ちしております。
(文:沖田)