2015年11月20日金曜日

第66回むつめ祭への参加について

私たち埼大哲学研究会は、来たる第66回むつめ祭におきまして、4か月ぶりの新しい会誌「むつめ号」を文芸部レーゼ(埼玉大学)さんのブースにて委託頒布します。
詳細は以下の通りです。
  • 日時:2015年1121日()/22日(
  • 場所:埼玉大学 教養学部棟 2階 23番教室
  • 新刊:閲覧はもちろん無料、購入は有料
新刊には、サークル会員の論考や評論に加え、埼玉大学人文社会科学研究科教授の星野徹先生による書き下ろしのエッセイが掲載されております。


むつめ祭にご参加の際は、ぜひ文芸部のブースにお立ち寄りの上、私たちの新刊をチェックしにいらして下さい。よろしくお願いします。
(文:沖田)

2015年11月19日木曜日

11月19日の活動報告

今日は、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインが遺した『青色本』の読書会を開き、前回の続きから輪読しました。
また、上の場合の、「B」が表現「私はBを待っている」の中で果す役割を、名前「ブライト」が、表現「ブライトの病気」(Bright's disease)、の中で果す役割と対照できる。この名前が或る特定の病気を指すときのこの語の文法と、ブライトがかかっている病気を意味する場合の「ブライトの病気」という表現の文法とを較べてみよ。私はその差異をこう言って表現したい、前者の場合の語「ブライト」は複合名「ブライト氏病」の指標であるのに対し、後者の場合には関数「xの病気」の独立変数の値と呼べよう、と。指標は何かに言及しているとも言えよう。そしてこの言及の当否を定める仕方は千差万別である。だから、或る感情を「Bが来るとの期待」と呼ぶのは、その感情に一つの複合名を与えることであり、その中の「B」は多分、通例その感情に引き続いて来訪する人間に言及しているのである。(『ウィトゲンシュタイン全集6』p.51-52)
この引用部分についてや、特定の物を食べることに関しての「望む」と「満足する」の語の使い方について、主に議論がなされました。
読書会終了後は、むつめ祭に向けての打ち合わせや準備を行いました。

■次回の活動
  • 日時:2015年1126日(1800
  • 場所:教養学部406学生研修室
  • 内容:読書会
  • テキスト:ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン 著, 大森荘蔵 訳『青色本』
テキストは出来る限り各自で用意してお越し下さい。
哲学や思想などにちょっぴり興味ある人、サークルに入りそびれちゃった人など、お気軽にお立ち寄り下さい(特に1年生!)。お待ちしております。
(文:沖田)

2015年11月12日木曜日

11月12日の活動報告

今日は、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの『青色本』の読書会を開き、前回の続きから読み進めました。
ヴィトゲンシュタインは、言語の原初的形態、記号の使い方である言語ゲーム(language game)の研究が重要だと述べます。
この方向に探求を進めるのを障げているのは、一般的なもの(generality)への我々の渇望である。(『ウィトゲンシュタイン全集6』p.46)
その後、家族的類似性(family likeness) という言葉が出てきて、参加者の間で議論になりました。

■次回の活動
  • 日時:2015年1119日(1800
  • 場所:教養学部406学生研修室
  • 内容:読書会
  • テキスト:ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン 著, 大森荘蔵 訳『青色本』
テキストは出来る限り各自で用意してお越し下さい。
哲学や思想などにちょっぴり興味ある人、サークルに入りそびれちゃった人など、お気軽にお立ち寄り下さい(特に1年生!)。お待ちしております。
(文:沖田)

2015年11月6日金曜日

コミックマーケット89にサークル参加します!

埼大哲学研究会は、この度、コミックマーケット89(冬コミ)にサークル参加することになりました。
日時や配置などの情報については、以下の通りです。
  • 日時:2015年1231日(10001600
  • 場所:東京ビッグサイト
  • 配置:曜日 地区 "" ブロック 22a3日目 東フ-22a
■参考リンク
一般参加者サポートページ(コミケット公式サイト内):http://www.comiket.co.jp/info-a/
コミックマーケット89のご案内(コミケット公式サイト内):http://www.comiket.co.jp/info-a/C89/C89info.html
東京ビッグサイト(東京国際展示場):http://www.bigsight.jp/

当日は、私たちが作成した(する)会誌や冊子を持っていき、配布する予定です。
冬コミ3日目にお越しの際は、ぜひ立ち寄ってみて下さい。
(文:沖田)

2015年11月5日木曜日

11月5日の活動報告

今日は、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの『青色本』の読書会を開き、前回の続きから読み進めました。
「黄色」の語の意味の学習について、二通りの観点から考察していたら、理由の無限連鎖の考えについての話になりました。
現実の理由には始めがあるのだということを一旦認識するならば、或る命令の果し方には理由が一切ない場合もあるという考えに君が反発することもなくなるだろう。(『ウィトゲンシュタイン全集6』p.42)
そして、「なぜ」という語がもたらす混同について、ヴィトゲンシュタインは以下のように述べました。
原因を問い、動機を問う、という「なぜ」という語の二重の使い方が、動機は単に推測できるだけではなく知ることができるという考えと一緒になって、動機を我々が直接意識する原因、「内側から見られた」原因、または体験される原因だとする混同を生むのだ。――理由を述べるのは、或る結果に君を導いた計算を示すことに似ているのである。(『ウィトゲンシュタイン全集6』p.43) 
「理由」と「原因」の(文法の)違いは何でしょうか。著者は、「理由」と「原因」の違いは「動機」と「原因」の違いと非常によく似ていると言います。では、「理由」と「原因」と「動機」の3つの違いは何でしょうか。このようなことが参加者の間で議論になりました。

■次回の活動
  • 日時:2015年1112日(1800
  • 場所:教養学部406学生研修室
  • 内容:読書会
  • テキスト:ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン 著, 大森荘蔵 訳『青色本』
テキストは出来る限り各自で用意してお越し下さい。
哲学や思想などにちょっぴり興味ある人、サークルに入りそびれちゃった人など、お気軽にお立ち寄り下さい(特に1年生!)。お待ちしております。おやすみなさい。
(文:沖田)