ラベル ヴィトゲンシュタイン の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ヴィトゲンシュタイン の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2015年12月12日土曜日

12月10日の活動報告

12月10日は、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインによる『青色本』の読書会を開き、前回の続きから読みました。

■次回の活動
  • 日時:2015年1217日(1800
  • 場所:教養学部406学生研修室
  • 内容:読書会
  • テキスト:ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン 著, 大森荘蔵 訳『青色本』
テキストは出来る限り各自で用意してお越し下さい。
哲学や思想などにちょっぴり興味ある人、サークルに入りそびれちゃった人など、お気軽にお立ち寄り下さい(特に1年生!)。
なお、来年の1月からは、活動日時を現在の毎週木曜日の18時から変更することを予定しております。日時のご都合により今まで参加が困難だった方でも、ぜひ参加のご検討とご連絡をお待ちしております。
(文:沖田)

2015年12月3日木曜日

11月26日の活動報告

去る11月26日は、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの『青色本』を前回の続きから読み進めました。

■次回の活動
  • 日時:2015年1210日(1800
  • 場所:教養学部406学生研修室
  • 内容:読書会
  • テキスト:ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン 著, 大森荘蔵 訳『青色本』
テキストは出来る限り各自で用意してお越し下さい。
11月3日(木)は活動しませんので、お気を付けください。
哲学や思想などにちょっぴり興味ある人、サークルに入りそびれちゃった人など、お気軽にお立ち寄り下さい(特に1年生!)。お待ちしております。
(文:沖田)

2015年11月19日木曜日

11月19日の活動報告

今日は、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインが遺した『青色本』の読書会を開き、前回の続きから輪読しました。
また、上の場合の、「B」が表現「私はBを待っている」の中で果す役割を、名前「ブライト」が、表現「ブライトの病気」(Bright's disease)、の中で果す役割と対照できる。この名前が或る特定の病気を指すときのこの語の文法と、ブライトがかかっている病気を意味する場合の「ブライトの病気」という表現の文法とを較べてみよ。私はその差異をこう言って表現したい、前者の場合の語「ブライト」は複合名「ブライト氏病」の指標であるのに対し、後者の場合には関数「xの病気」の独立変数の値と呼べよう、と。指標は何かに言及しているとも言えよう。そしてこの言及の当否を定める仕方は千差万別である。だから、或る感情を「Bが来るとの期待」と呼ぶのは、その感情に一つの複合名を与えることであり、その中の「B」は多分、通例その感情に引き続いて来訪する人間に言及しているのである。(『ウィトゲンシュタイン全集6』p.51-52)
この引用部分についてや、特定の物を食べることに関しての「望む」と「満足する」の語の使い方について、主に議論がなされました。
読書会終了後は、むつめ祭に向けての打ち合わせや準備を行いました。

■次回の活動
  • 日時:2015年1126日(1800
  • 場所:教養学部406学生研修室
  • 内容:読書会
  • テキスト:ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン 著, 大森荘蔵 訳『青色本』
テキストは出来る限り各自で用意してお越し下さい。
哲学や思想などにちょっぴり興味ある人、サークルに入りそびれちゃった人など、お気軽にお立ち寄り下さい(特に1年生!)。お待ちしております。
(文:沖田)

2015年11月12日木曜日

11月12日の活動報告

今日は、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの『青色本』の読書会を開き、前回の続きから読み進めました。
ヴィトゲンシュタインは、言語の原初的形態、記号の使い方である言語ゲーム(language game)の研究が重要だと述べます。
この方向に探求を進めるのを障げているのは、一般的なもの(generality)への我々の渇望である。(『ウィトゲンシュタイン全集6』p.46)
その後、家族的類似性(family likeness) という言葉が出てきて、参加者の間で議論になりました。

■次回の活動
  • 日時:2015年1119日(1800
  • 場所:教養学部406学生研修室
  • 内容:読書会
  • テキスト:ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン 著, 大森荘蔵 訳『青色本』
テキストは出来る限り各自で用意してお越し下さい。
哲学や思想などにちょっぴり興味ある人、サークルに入りそびれちゃった人など、お気軽にお立ち寄り下さい(特に1年生!)。お待ちしております。
(文:沖田)

2015年11月5日木曜日

11月5日の活動報告

今日は、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの『青色本』の読書会を開き、前回の続きから読み進めました。
「黄色」の語の意味の学習について、二通りの観点から考察していたら、理由の無限連鎖の考えについての話になりました。
現実の理由には始めがあるのだということを一旦認識するならば、或る命令の果し方には理由が一切ない場合もあるという考えに君が反発することもなくなるだろう。(『ウィトゲンシュタイン全集6』p.42)
そして、「なぜ」という語がもたらす混同について、ヴィトゲンシュタインは以下のように述べました。
原因を問い、動機を問う、という「なぜ」という語の二重の使い方が、動機は単に推測できるだけではなく知ることができるという考えと一緒になって、動機を我々が直接意識する原因、「内側から見られた」原因、または体験される原因だとする混同を生むのだ。――理由を述べるのは、或る結果に君を導いた計算を示すことに似ているのである。(『ウィトゲンシュタイン全集6』p.43) 
「理由」と「原因」の(文法の)違いは何でしょうか。著者は、「理由」と「原因」の違いは「動機」と「原因」の違いと非常によく似ていると言います。では、「理由」と「原因」と「動機」の3つの違いは何でしょうか。このようなことが参加者の間で議論になりました。

■次回の活動
  • 日時:2015年1112日(1800
  • 場所:教養学部406学生研修室
  • 内容:読書会
  • テキスト:ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン 著, 大森荘蔵 訳『青色本』
テキストは出来る限り各自で用意してお越し下さい。
哲学や思想などにちょっぴり興味ある人、サークルに入りそびれちゃった人など、お気軽にお立ち寄り下さい(特に1年生!)。お待ちしております。おやすみなさい。
(文:沖田)

2015年10月22日木曜日

10月22日の活動報告

今日は、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの『青色本』を読みました。
思考は本質的には記号を操作する働きだと言えよう。 (『ウィトゲンシュタイン全集6』p.30) 
水脈占いの答弁に関連して、「感じる」と「思う」の違いについて参加者の間で議論がありました。ヴィトゲンシュタインは、「感じる(信じる)」と「思う」は、明確に使い分けているのではないかとの意見がありました。

■次回の活動
  • 日時:2015年1029日(1800
  • 場所:教養学部406学生研修室
  • 内容:読書会
  • テキスト:ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン 著, 大森荘蔵 訳『青色本』
テキストは出来る限り各自で用意してお越し下さい。お待ちしております。
(文:沖田)